8・22現在 工事中
1、ダイソーの金塊(仮)/ダイソーの看板(仮)
…日本銀行地下金庫での「KINKO」展においてプラン段階で出展不許可になった。
理由 企業ロゴ
2、アベティはそれを見たことがない
(1の代案。実際に展示された。)
アベティはそれを見たことがない
素材:はなくそ(2年間溜めた作者の)、
日本銀行本店金庫に置かれた金の展示台(複製物)、
映像DVD(1分25秒)
2007
(個人蔵)
…日本銀行地下金庫での展覧会です。
“100円ショップダイソー”のロゴマークを金塊に刻印して展示するというプランだったのですが…。
すぐに日銀職員に断られました。で、実際に展示したのがこの作品です。
地下金庫見学者向けの、「金塊山積みディスプレイ」の置かれた部屋に作品を展示しました。
置かれていた展示台を複製し、その中に“ある素材”で出来た金塊型の立体物を置いたのです。
実はこれ、僕の“はなくそ”で出来ています。2年分の。
金〈GOLD〉は、実際は貧しい国(例えばエチオピア)の人達が人力で、
ようやく人ひとり入れる穴を地中深くまで掘り、命がけで採掘していたりもします。
採掘といっても微量の砂金であり、それすら一穴に一粒も出てこない事もあるそうです。
それに対し、経済大国の中央銀行で見た山積みの金塊のディスプレイは、
僕には滑稽で馬鹿馬鹿しく映りました。
日本人(僕)が、“現実味の無いエチオピアの深刻な事実”を、
呑気に自宅の大型テレビを通じドキュメンタリー番組で観ていた姿や、
保守的な日本銀行に対して、そして、世界の強烈な経済格差に対して
何らかの批評的アプローチが出来ないかと思いこの作品は生まれました。
自らも長期間毎日“穴”を掘り続け、微量に採れる“それ”を集め続けたのです。
展覧会初日に観に来て下さった福井総裁(当時)の苦笑いが忘れられません。
<展示歴>
・2007/10
「KINCO ~日銀ウォーキングミュージアム」日本銀行本店地下金庫(東京・日本橋)にて展示。
・2009/12
「ASIA PANIC」光州ビエンナーレホール(韓国)にて展示。
・2014/06
「ヨセナベ展」Art Lab AKIBA(秋葉原)にて展示。
・2015/03
「アートフェア東京」国際フォーラム(東京)にて展示。
※制作のきっかけになったドキュメンタリーの一部がYouTubeで観られるようです。
エチオピア・アベティ(3/3)→リンク不明
●止まった部屋 動き出した家 (個展)
<展覧会概要>
2011年東日本大震災の直前まで渡辺篤は自室で ひきこもり をしていた。
その間ほぼ寝たきりでずっとカーテンを締め切っていた。
心病み、一生の覚悟を背負いながら続けていたものの、
6ヶ月でその終わりが訪れ、社会復帰を目指す。
2013年春に美術家として再起を果たした。
自身のひきこもり経験とREBORN、
インターネットでの似た境遇の者達との繋がり、
直後に起きた大津波とそこでの実際の事例も取り込みつつ、
インスタレーション、パフォーマンス、絵画、ビデオ等で空間を構成する。
作家が会期中コンクリート製の一畳サイズのハウスに生き埋めになってそこに住み、
金槌とノミを使い、自身のタイミングで
そこから出る。
新しい戦争 NEW WAR シリーズ
立入禁止屏風
死体を喰らういきもの
素材:牛生肉、鎖、発泡トレー、樹脂
サイズ:可変
2009
所蔵:個人蔵
<<あなたはお肉が好きですか? スーパ ーに並ぶ精肉を見て何を連想しますか?
すき焼き? 牛丼? ハンバーグ?
実は私はお肉を一切食べません。
いわゆるベジタリアンというやつだと思います。
なったきっかけは「屠畜」に関する仕事について調べている時でした。
ネット動画で「病気の牛が巨大なシュレッダー機に生きたまま投げ込まれ、
雄叫びをあげながら徐々にミンチにされていく」という一部始終を観たのです※。
おそらくそのミンチもまた牛の餌になるのでしょう。
映像や書籍をいくつか見ていくうちに、
自分が好んで食べていた「肉」とは「動物の死体片」であるという当たり前の事実に、
改めて気付かされたのです(その後、食肉解体工場にも実際に行きました)。
僕は美術家として活動しています。表現媒体は絵画や立体作品が主です。
2009年2月に行われた展覧会での作品は、スーパーマーケットで購入した大量の牛肉を素材に使い、
今まさに死んでいく牛のかたちを復元するというものでした。
様々な部位の精肉を大量に買い集め、
小さな死体片から生きていた時の全体像を再構築しているともいえるでしょうか。
私が肉を摂取しない態度は、ある種の不買運動ともいえます。
しかし、この作品を作るにあたっては、意図して大量な消費活動を行いました。
賛否両論あるかもしれません。
けれどお金を出しさえすれば他人に殺させた動物の死体を買えるという事も現実です。
「いただきます」という感謝の言葉。そのように言いさえすれば、
人はどんな動物でも殺して食べる権利を持っているのでしょうか?
僕は今でもそのあたりがよく判らずに、日々悩んでいるところです。
※この動画は「病気になった牛」を牛の餌として丸ごと処理する現場を映したものである。
なお、BSEが社会問題化した後は、
病気の牛ミンチを健康な牛に食べさせることは“ほぼ無い”だろうと言われている。>>
(雑誌「オルタ」2009年3・4月号より 寄稿文を一部加筆修正したうえ転載)
…2013年追記:現在、僕は肉も多少は食べる生活を送るようになりました。
日本における食文化の頑なさや、“食の場の人間関係”についても悩み、
結果的に今のスタイルに落ち着いています。
“地球における人間最優位な状態”について、
“動物の生命倫理や権利(アニマルライツ)”についてなどは今でも思うところがありますが。
死体遺棄事件~Leather~
素材・技法:廃棄された皮革製品を分解し再縫合
左右共に74×69(cm)
2008
…「ヴィーガン」(動物性のものを身につけたり食べたりしない、
ベジタリアンのひとつのスタイル)になっていた時期に作った作品。
皮革業者から廃棄牛革を大量に貰ったり、
友人知人の捨てるつもりだった革製品をわんさかと集めて、
それらを手縫いでパッチワークしなおし、
キッチュで、室内雑貨の様な<クッション型平面作品>を作った。
図柄は牛が牧草を食べている風景。
“棄てる”、“(死体)遺棄する”を意味する、
日本人には聞き馴染みの無いであろう英単語[abandoning]をネットで調べて知り、
それとなく画面に取り込み、縫い付けた。
牛革のバッグやソファもグロテスクな死体片である。
ファッションは死体で出来ている。
◇
…2014年追記:当時、<リアルサイズ牛革ぬいぐるみ>を作るつもりで、革を集めていました。
日常の衣食に対する疑問への意識が先鋭化し、
神経症的になっていた部分もあります。
ベジタリアンを志したというよりも気づいたらなっていたという形でした。
2014年現在は、思考のゆらぎの中、革製品を身につけることもあります。
サイレント
ライブペインティング
(3h15m)
紙、顔料ペン、血液、額縁
2013
…人生初のライブペインティング。友人ミュージシャンらのライブ会場で描いた。
連鎖を意味する<将棋倒し>を、微細な色の差で3時間、 紙に延々と描き続けた。
一ヶ所、積み重なった駒から血液が流れ出ている。
僕はこのライブペインティングを描く数日前
Twitterにて「差別に差別、暴力に暴力で応じるのは非合理」なる旨の つぶやきをしたのを発端として、
<しばき隊>※の幹部らにネット上で批難され、 ちょっとした“炎上”になった。
僕は淡々とした言葉で対応したつもりだったが、
数時間に渡り、多くの暴言を彼ら複数人から同時に浴びせかけられ続けた。
暴力や差別に対抗する為に、上からねじ伏せるパワーは本当に有益だろうか?
力の重ね合いはエスカレートする。
押し相撲はどちらかがくたばるまで続く。
僕は誰かの微細な心の声を聞く聴力を積極的に持ちたいと思った。
アートはその表明をせねばならないと感じた。
本来、ライブペインティングとは、華美なパフォーマンス性を求められる風潮がある。
この時は敢えて、どれだけ“小さい音”を描けるかに徹した。
いつまで経ってもほとんど白紙にしか見えない画面を前に、
来場者のほとんどは面食らっていたようだ。
※2013年、東京新大久保などにて<在特会>(在日特権を許さない市民の会)を
中心とするグループによる幾多に及ぶ、 在日韓国人に対しての差別的な方法のデモが話題になり、
その問題は国会でも取り上げられた。
ヘイトスピーチを行なう在特会に相対し、
反対活動をしたのが<しばき隊>(レイシストをしばき隊)。
しばき隊側は在特会のヘイトスピーチに対して、デモを潰すべく幾度と無く衝突をした。
結果的に、“それぞれにとっての、正義”を奪い合っているともいえる。
両者の争いは泥沼化し、やがて双方に逮捕者を出すまでに至った。
せかい なるほど いじんでん
参考資料:〈週刊現代〉2007年3月17日号
「とうきょうげいだい 120しゅうねん きねんぐっず」
ミニカー、アクリル塗料、プラスチック、針金、その他
2007