共感の不可能性について。
結局のところ、我々は他者を理解することなどできやしない。
他者は自分にはなれない。自分も他者にはなれない。
であれば、 どのようにすれば他者をより知ることができるのか。
他者を見殺しにせず、お互いを生かし続け合えるのか。
他者との共感の困難さを考える時、
例えば、自閉した存在である”ひきこもり”という生き方をせざるを得なくなった者たちは、
その象徴的な存在のひとつだろう。
現代社会の生きづらさが作り出した社会問題として近年国内外で、顕在化した。
しかし、彼ら/彼女らは社会的に不可視な存在である為、社会の側の対応は非常に遅れている。
当事者は国内だけで150万人以上居るとも言われ、
家族や関係者も合わせれば一体どれくらいの多くの人がこの難題に向き合っているのだろうか。
人間にとって普遍的な課題でもある、
他者を知る事の可能性と困難さについて取り組むこと。
同時に、今日的で深刻な社会問題に対し、元当事者の立場から、
アートを用いていかに直接的な影響をもたらせるかを目指している。
2018.09.05